スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

全体主義からバランスを取り戻す

パンデミックの対応について、国によってかなり異なる状況がある。なぜこのような現象が生じるのであろうか。国よって歴史、法律、政治、文化などが異なるのはわかるが、これだけ濃淡が生じることにどのような意味があるのだろう。

すでにパンデミック前の状況に戻りつつあるスウェーデンという国もあれば、全ての労働者にワクチン接種義務化をするイタリアという国もある。一方、わが国は、その中間に位置する国であろうか。国によって果たす役割が違うのか、世界に影響を与える方法が違うのか、それぞれの国が役割を演じているような感じである。

とくにイタリアの政治的決定はどうして可能なのだろう。イタリアの憲法はどうなったのか。反ファシズム的な内容と聞いたことがあるが、これでは、イタリアの政治自体がファシズム以外の何ものでもないように思える。

世界の国々はそれぞれ影響し合っているのは事実であるが、イタリアの現状をみて、他国の人々が学びを得るということはあるのかもしれない。この状況から他国の人が学ぶ、いやそうではなく、イタリア自身が学ぶのかもしれない。同じ人類としてイタリアの人々に同情するしかなく、自分がしてあげられることは何もない。かつてのローマ帝国の繁栄は遥か昔の出来事であり、イタリアあるいはヨーロッパ地域の文明が衰退していくのは避けられないのかもしれない。ガイアの法則が思い出される。

ここで自分が反省しなければならないのは、今回のイタリアに限らず、世界には全体主義的な国家が存在し、市民の人権が蹂躙されている国は多くあるが、自分自身がそれらに無関心であったということ。そして、自分のこととして痛みを感じていなかったこと、そこから学べることがあったにもかかわらず、その事実にさえ気がつかなったことである。

また、イタリアにおける人権侵害のようにみえる政治的決定にEUは何もしない。世界の警察であるはずのアメリカも干渉することもない。自分たちも同じ方向に向かっているので当然である。結局、利害関係がないことには干渉しないが、自らの利害があるところには、危険を顧みず喜び勇んで参上することになる。損益で行動を起こすときには「正義」という言葉は非常に便利なのかもしれない。

しかし、今は少し理解できるようになった。世界が同じ方向に向かいつつあるようにみえ、そこから多くの学びがあるということを。人類は全体主義共産主義ファシズムという言葉を生み出してネガティブな印象を作っておきながら、実はそちらに向かっている可能性があること。そして、今起きている現象に多くの人が気がつきだしていること。しかも、直感で。学校で学ぶようなレベルでもなく、書籍で得られるような知識でもなく、何か感じるものがあるのだと思う。

このように、世界の人々が社会の構造や流れについて、直感で感じることができたとき、今度は「自由」を求める流れができるのだと思う。ある程度の分離や分断は想定されるが、着実に「自由」という価値観に重きが置かれる世界が、今の二極性から生まれてくるのではないか。リンクを貼ったジョージ・オーウェル1984年』の解説の最後に、私たちの一人ひとりの運命はバランスにかかっています、とある。

Is 1984 Becoming a Reality? - George Orwell's Warning to the World - YouTube

まさに、バランスを取り戻すタイミングが始まっているのではないかと感じる。すでに10年くらい前から始まっていたのか、自分が気がつかなかっただけなのかもしれない。