新型コロナウイルに関しては日々刻々と新しい情報がはいってくる。1日前にいっていたことが今日変わることもある。世界中の研究者が日夜努力しているおかげで、ウイルスの正体も徐々に鮮明になってきている。
そして、これだけ変化の激しい状況にあって、あることに対する断定や価値判断に基づいた決めつけが、いかに自分の信用を傷つける危険があるのかも明らかになった。勇気がないから断定できないともいいうるが、謙抑的な姿勢を維持しつつ慎重に発言することも大切であるということであろう。
時間を超えて正しい説などなさそうであるという事例にPCR検査の議論がある。当初は全員にPCR検査を実施して陽性者を隔離し、陰性者で経済を回せという議論もあった。何となくすっきりして、格好の良い議論で、一つの正解のように聞こえる部分もあったのであろう。しかしその後、良識ある専門家によって多くの批判がなされることになった。
PCRの感度はせいぜい7割程度でそれほど高くはないという事実が指摘されだしたのである。峰宗太郎=山中浩之『新型コロナワクチン知らないと不都合な真実』(日経BP、2020年)にわかりやすい例が出ているが、仮に東京都民が1,000万人だとしよう。そして、全員検査を受けたとしてPCR検査の陽性率は5%程度なので、陽性者が50万人になる。この50万人のうち30%の15万人が偽陰性になるということである。すなわち、東京都だけで15万人の偽陰性者が出て、その人たちが感染している可能性があるのに経済を回すために働き、普通に日常生活を送ることになる。
〔例〕
1,000万人(東京都人口)×0.05(PCR陽性率)×0.3(感度)=15万人(偽陰性者)
結局、PCR検査は陽性か陰性かを見分けるには役立たないが、医師が患者の症状を診察し、陽性と疑わしいという人を確定することにしか使えないということである。よって、PCRを全員にというのは、検査至上主義を信じる人の誤謬ということになる。
またもっと深刻な問題は、PCR検査が陰性の人を正しく陰性だと判断できる割合(特異度)は99%ということである。仮に前述の例の通り陽性者が東京都民で50万人いたとする。そして、残りの950万人が本当に陰性だと仮定する。この950万人もPCR検査を受けているわけなので、950万人のうち1%、すなわち10万人が感染もしていないのに陽性と判定されてしまうことになる。
〔例〕
〔1,000万人(東京都民)-50万人(感染者)〕×0.01(特異度)=10万人(偽陽性者)
こちらのほうが問題で、この10万人が本当の陽性者と同じ施設に隔離されたらどうなるだろう。そもそも憲法が保障する人身の自由を侵害したことになるので憲法違反ということにもなる。そして、PCR検査を受けたところで陰性の証明にも陽性の証明にもならないということである。
毒にも薬にもならない検査をいくらやっても混乱を招くだけであり、膨大なコストもかかり、人的資源も無駄にしてしまう。その結果、人権侵害を招くこのような検査至上主義には、明らかに異議が唱えられだした。そのことによって、結局はPCR検査心棒者の信用は明らかに崩壊したといえよう。このようにたった1年も経過していない間に、新たに事実が次々に出てきて、自分の知らない世界がみえだすと、いかに物事に対する決めつけが危険かということがわかる。
次に空間を超えて正しい説はなどなさそうであるという事例に、海外の事例の日本への当てはめがある。ニューヨークやロンドンで起きたことが、そのまま日本にも当てはまるという断定である。これもどうやら間違いであったことが明らかになり、地理的な違いによって正しい説は一つではないようであるという典型例である。
この点まだはっきりしないが、どうやら長年住んでいる土地によって、人がもっている免疫に違いがありそうということである。その点のみが原因で、海外と日本の結果が異なり間違っていましたというのであればまだ弁解の余地がありそうであるが、日本の医療体制とアメリカの医療体制に大きな違いがあること、劣悪な環境で生活する貧困層や移民が多いことなどは考慮に入れていなかったようである。また、国民性によるパーソナル・スペースの違いも影響しているかもしれない。あるいは気候も影響しているかもしれない。
とにかく、「海外では」とか「欧米では」というコメントは、議論や思考を単純化できるので便利ではあるが、論点を簡素化しすぎる傾向があるので注意しなければならない。そして、多くの専門家が「海外では」といっているときには、アメリカとせいぜいイギリスくらいしか頭にないといってよい。
自分の専門分野の話でも、アカデミズムの世界で権威のある学者が「海外では一般的に○○である」という発言をすることがあるが、明らかにアメリカしかみていないコメントであることがわかる。グローバリゼーションといっても、アメリカとヨーロッパでは制度が大きく異なるし、ヨーロッパでは国によって、地方によっても多くの異なる点がある。ましてや、他のアジア諸国やアフリカ諸国では異なることが山ほどあるであろう。
そして、アメリカのやり方を日本でも採用すればよいといっても、アメリカは連邦国家で、そもそも国の成り立ちが異なる。州によっても医療制度や法制度が異なるので、各州で異なる対応がなされている。PCR検査を全員にというような対応をしているのはニューヨーク州ぐらいで、他州はまた異なる。そもそも日本のような健康保険制度のない国と同じ方法を採用しろというのも無理であろう。グローバリゼーションで世界が均質になった、あるいは均一になったなどということ決してないことを忘れているとしか思えない。
結局、時間と空間を超えて正しい説があるかというと「ない」というのが結論になる。そもそも正し結論が一つというよりも、いくつかの正しいと思われる解があるということではないだろうか。新型コロナウイルスに関する新しい事実がこれから明らかになっていくであろうが、すべてを解明できるようにはならないであろう。すべて理解されるのは、1,000年後とか2,000年後かもしれない。少なくとも100年前のスペイン・インフルエンザのことでさえ、全貌がまったくわかっていなのだから。