スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

「本物」を判定するリトマス試験紙

コロナ禍はリトマス試験紙の役割をもっている。おそらく多くの人がコロナ禍のおかげで本当の友人をみつける、あるいは「本物」を見抜くことの判定にコロナ禍は役立っているように思える。

たとえば、何気なく接していた友人が、世の中の状況について自分では想定していなかった意外なことを言い出したり、予想もしていないこだわりを持っていたりすることに気が付くことがある。自分のことしか考えられなくなり、他者への思いやりや配慮がほとんどなくなっている人も見分けられるようになった。人は追い詰められたときにこそ本性がでるというが、これほど顕著な例もないかもしれない。

あるいは、有識者と思われていた人の発言が意外にも浅薄であったり、表層的であったりすることもあり、それこそ誰が「本物」であるかもつまびらかになった。いかに私たちは肩書や権威に頼って人を判断し、勝手に評価しているのかも明らかになった。さらに、今のような危機的な状況で、誰が浮足立って機会主義的に私的利益を優先しているのか、誰が公共の利益を優先して自分の経験と知識を最大限に活かそうとしているかみえてきた。

医師についても普段立派なことをいう信頼できそうに思われていた人が、単なる素人でしかなかった、ということでがっかりするケースもあるようだ。ある人が熱はないが軽い咳がでるので信頼している病院の医師のところにいったところ、コロナではないかということで、看護師を含めて大騒ぎになったケースもある。慌ててバイオテロにでも対処するような防護服を身に着けだし、急遽唾液を採取し検査に回したという。検査結果は陰性で何事もなかった。結果が出るまでは患者当人の行動は至極制限されて不便この上なかったという。これなどは、しっかり患者を診ていない証拠である。「本物」の医師は、患者の顔色をみただけで病気の重症度が判断できるといわれる。また触診も重視する。患者の顔もみず触診もしないで医師が務まるのであれば、早晩彼ら彼女らはロボットやAIに取って代わられることになるだろう。仮に世の中の多くの医師がその程度のレベルの熟練度しか持ち合わせていなく、しかも一般の患者数も減っている状況で、赤字経営の病院はますます増えて淘汰されていく。コロナ禍は、まさしく本物の医師を選別することにも寄与しているといっていい。

また、組織の姿勢も明らかになった。ある医師が医療崩壊を回避するために、コロナの指定感染症第二類というのを、インフルエンザと同じ第五類にするべきだと提言したが、所属組織から圧力がかかりそれ以上の発言は許されていないようである。医療現場の正常化のために勇気を持って正論を述べた医師の「表現の自由」でさえ奪う組織というものがある。この医師の提言に耳を傾ければ、コロナ対応は決して医療現場の総力戦になっておらず、保健所と指定病院医療機関(351医療機関1,758床)の他一部の受け入れ可能な医療機関での局地戦でしかないこともわかる。それらの医療機関への兵站も不十分な状態のようである。まるで日本の医療機関が総力戦で医療崩壊を食い止めているように報道されるが、事実は異なる。

あるいは、在宅勤務が増えて従業員を信用していない経営者は、監視を強化しようとした組織もあるという。これから、どこでどのような組織で働けば自分は幸せになれるかの労働者にとって判定材料は出そろった感じである。コロナ禍を逆手にとって積極的な投資や経営判断ができない経営者は、やはり退場していくことになり、残るのは本物の経営者のみになろう。

このように考えると、コロナ禍はいろいろな素材をわれわれに提供してくれていることになる。次の時代、誰と一緒に仕事をするのか、どのような組織で働くのか、どのような専門家と協働すべきか、どのような友達を持つべきか、非常に有用な情報を開示してくれたことになるのではないだろうか。