スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

パラレル・ワールドを体感する

 在日ミクロネシア日本大使館のウェブサイトに「ミクロネシア出入国にあたっての諸情報」があり、 2020年2月4日に次の記載がある。

「 1月31日にミクロネシア大統領府が発出した新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言に関して、2月3日より、ミクロネシア政府は日本が感染地域・国であるとして、同宣言(4)にある14日間ルール(注)の適用を開始しました。

このため、日本からミクロネシアに入国するにあたっては、ミクロネシアに入国する前に非感染地域であるグアムやホノルル等で最低14日間滞在する必要があります。また、ポンペイ空港では、入国者のヘルス・スクリーニング(主に申告書と体温測定)が始まりました。

なお、14日間ルールの適用に伴い、3日、グアム発ミクロネシア行のユナイテッド航空便で、乗り換え客17名(国籍不明)が搭乗拒否にあった他、複数のミクロネシア人が入国出来ず、規定の14日間を満たすまでグアムやホノルルで足止めされている模様です。

今後、同宣言を踏まえて日本人旅行者に対する当局の規制が更に厳しくなる可能性があるところ、ミクロネシアへの渡航に関しては、充分な注意が必要です。」

この日、筆者は成田空港で自動チェックインによる手続き済ませ、グアムに向かった。ただの海外出張であったが、仕事に関連するミクロネシア当局との面談も含めていくつか予定が入っていた。そして、グアムのホテルに一泊し、2月5日グアム国際空港に向かい、ミクロネシア連邦ポンペイ島に向かう予定であった。しかし、グアムの空港で出国手続きを済ませてユナイテッド航空の搭乗ゲートに行き、飛行機に乗ろうとしたところ搭乗を拒否された。日本のパスポートを提示しており日本からの入国になるので、前述の14日間ルールに該当してしまったのである。さすがにこのときは、どこでもドアとしての日本のパスポートも通用しなかった。そんな事情は知らないので何とかユナイテッド航空の職員に交渉して現地を行かせてもらおうとしたが、もちろん無理であった。結局、その日の午前中に日本の旅行代理店にメールでお願いし、日本への帰国便を手配。帰国の途に就いた。グアムへの一泊二日旅行というなんとも不思議な出張になった。

その後、日本の情勢も徐々に深刻さを増していった。学校が閉鎖され、会社も従業員のオフィスへの出社率を50%以下に努力目標を設定したので、週2回出社するような状況になった。

ただ、筆者の場合は、毎朝5時ちょっと前の乗客が少ない始発電車に乗って東京まで通勤しているので、ゴールデンウィーク前までは毎日出社していた。しかし、上司も心配してくれることもあり、5月からは週2回程度の出社に切り替えることにした。そして、世の中は自粛ムードのままどんどん時間だけが経過していったのである。

コロナウイルスに対する認識について自分は多くの人と違うのかもしれない。賛同していただける人もいるものの、少数派なのはわかる。どうも自分がみえている世界と多くの人がみえている世界が違うようである。多数派と少数派であれば間違いなく少数派に含まれる。少なくとも外を散歩しているときにマスクなどしていないし、すれ違う人の多くがマスクをしていることをみると、どう考えてもマイノリティである。まるで自分と他人は異なる次元を生きているようで、みえるもの、聞こえるも、読むもの、とれる情報すべて違うのではないかと思われる。

このような感覚があながち間違いではなく、過去に同じような経験をしたことがある。それは、東日本大震災の直後の福島原発事故のときのことである。

当時、多数派と異なる感覚を持った事情に、筆者がフランス人と国際結婚しているということがある。事故当時、まずフランスの家族からの情報や助言が大量に入ってきた。チェルノブイリ原発事故を経験しているフランス人は、日本人より放射能の危険に対して敏感に反応する。しばらくして原発事故が収束した後にフランスを訪問したときは、チェルノブイリの事故当時、フランス政府がドイツとの国境で放射能は止まった、という嘘をついて国民をだました、という話を何回か聞かされた。

また、原発事故のときは東京・広尾のフランス大使館からの情報が得られた。EU域内の各国は情報交換しているので、かなり客観的情報であったであろう。妻はときどき大使館に電話をして情報と助言をもらっていたが、大使館員の反応も時間の経過とともに変化していた。

時間軸で明らかに態度が変わったのは3月15日からである。3月14日の2度の水素爆発と3月15日の朝の水素爆発の前と後では危機感がかなり違っていたということである。3月15日以前であれば、大使館員の助言は、外に出ずに自宅にいれば大丈夫です、というようなアドバイスであったが、3月15日の朝の助言は、逃げられるのであれば、できるだけ遠くに逃げてください、ということであった。しかも声も震えていて冷静さはなかったという。

フランスの専門家は爆発の映像なども分析していたであろう。3月14日、15日と続いた複数の爆発の後、分析の評価はかなり深刻なものに変わったのだと思われる。そして、日本のフランス大使館に入るフランス政府からの指示や情報も大きく変化した。結局、フランス政府は3月16日に政府のチャーター便を用意しており、自国民を脱出させることにしていたのである。

チャーター便があるという情報はぎりぎりまで知らなかった。そして日本国籍である私もフランス国籍者の配偶者としてチャーター便に乗れたようである。しかし、わが家の場合、当時小さかった3人の子どもがいたので、フランスの家族の強い要請もあり、日本を出国することをすでに決めていたのである。そして、羽田空港や成田空港発のフライトは満席で予約が取れず、何とか関西空港発の大韓航空が予約できた。その後、3月14日にレンタカーを借りて、3月15日の朝3時半に家を出発し、関西空港に移動するために羽田空港に向かった。大渋滞のリスクもあるかと思い朝の3時半に出発したが、渋滞はなく朝の5時頃に到着してしまった。

3月15日の朝、羽田空港では妻がフランス大使館に電話をし、状況を確認したところ、前述の通り、できるだけ遠くに逃げろというアドバイスになっていたので、自分もどうしてよいかわからなくなった。羽田空港で妻と子ども3人を見送り、自分はレンタカーで家に帰ろうと思っていたからである。しかし、大使館員の反応は尋常ではなかったということで、自分もレンタカー会社に電話をして、羽田空港に乗り捨てに切り替えてもらうことにしたのである。その後、無事に家族5人で関西空港まで移動して、家族は大韓航空でソウルを経由してフランスに一時避難できた。自分は仕方がないので、大阪のホテルにしばらく滞在することにした。会社には有給休暇ということで電話をしておいたが、理解のある上司は快諾してくれた。

こうなると、自分だけ別次元にいる感覚である。大阪の市民は危機感なく、普通に暮らしている。繁華街でも若者がにぎやかに騒いでいる。首都圏の人も日本政府の情報を信じて混乱はあるものの通常の暮らしを心がけている。自分だけが緊急事態宣言の真っただ中にあるようなもので、夢でもみているのか、映画の世界にでもいるような感覚にとらわれていた。

当時は、ほんの数日間の出来事で、まさに突然の決断と変化であった。それに比較すると、コロナ禍はじわじわと進む嫌な感覚がある。ただ、福島原発事故のときに感じた少数派としての孤独と、今の少数派としての立ち位置では、今のほうが気楽である。少なくとも漸次進展するコロナ禍に対して、徐々にマスメディアの報道に違和感を覚える人も増えているからであろう。数字の操作やデータの解釈次第で、ポジティブにもネガティブにもなれることに気がつく人も増えている。こんなことを続けていれば、本当に別のことで死んでしまうと思いはじめている人が増加していると思う。

これは結局、どのような視座を持つかによって住む世界が変わるという、まるで並行世界(パラレル・ワールド)と同じことなのではないだろうか。「世界は一つ」と多くの人は信じているが、それは観念が固定されているだけなので人間の錯覚かもしれない。遠大なテーマで、私がとやかくコメントできることではないが、この世界には複数の異なる次元があって、人によって住んでいる次元が異なる、あるいは人は異なる次元を行き来することができるということもあるかもしれない。しばらくこの状態は続くであろうが、自分の観念をどこにもっていくかで、幸福にも不幸にもなれるという単純なことなのかもしれない。