スペシャリストの生き方

自分だけの生態学的ニッチで生きる

「理論と実務を架橋する」実践の難しさ

「理論と実務を架橋する」「理論と実務の橋渡しをする」ということはよくいわれるが、これほど頻繁に聞くにもかかわらず実践が難しいものもない。研究者は学術の世界に安住し、簡単なことを難しい表現で表し、実務家は日々の業務に忙殺されて、日々理論的な整理をごまかしながら業務を進めていく。よって、なかなか両者が交わる機会がないものである。そもそも学術的という言葉の意味はなんなのであろうか。学術的に価値があるとはどういうことでろうか。どんなに専門性のある論文であろうとも、誰にも理解されない、誰にも参照されないものでは、社会を良くしていくための原動力にはならない。頻繁に使用される「学術的」に価値があるなどという表現もその内実を再考する必要があると思う。

それでも、本当に優秀な研究者の中には、どうして大学の研究室にいながらこんなに興味深い論点や切り口を見つけられたのだろうと思う方も多い。自分の専門の保険法の分野でもまるで現場を見てきたかのような論文も見かける。そのような研究者は、ぜひ企業実務家と問題意識や課題設定を共有して、共同研究による共著論文を出されたらよいと思う。あるいは、むしろ別々に論文を出すのもよいと思う。なぜなら、同じ課題設定をしていながら、学術の世界で訓練を積んだ人と、実務の世界で訓練を積んだ人の視界が異なることがあり、その多様性が学問や社会の進歩に貢献する可能性があるからである。

それでは、どのような方法があり得るであろうか。たとえば、学会や大学の研究会などに実務家を呼び、現場で直面する課題の具体例を説明してもらう。それをケース・スタディーとして研究者が調査研究することで、ある一定の解を提示するようなことがあってよいと思う。学会や研究会でプロジェクトを立ち上げ、そこに企業実務家が参加するのであれば、社会科学系であれば、大きな予算も不要になる。あるいは、研究者が企業のアカデミック・アドバイザーとなるのも簡単な方法であろう。もともとは、大学生に個別指導や助言をするのがアカデミック・アドバイザー制度であるが、それを企業にまで拡大するのである。研究者側は営利目的でなくても良いはずである。現場の事例や情報が入るだけでも、自分の研究がダイナミックに進化する。企業側も実務を離れて一呼吸おける立場の研究者の見解に、多くの気づきを見いだせるはずである。

研究者側は営利目的にしてしまうと、利益を出さなければならないプレッシャーから、結局実務家と変わらない環境に身を置くことになりイノベーションが起こらなくなるので無償でよいと思う。無償が問題であれば、月1-2万円でもよいであろう。とにかく営利という要素を排除してみる。企業側は情報漏洩など問題とするかもしれないが、本当の機密情報は加工して客観化し情報提供すればよい。そもそも社会科学の発展に寄与するための企業内の情報など、そんなに機密性のあるものはない。工学や理学など特許にかかわるような情報と異なり、通常の企業における事例やビジネス・モデルに関する情報など、そんなに価値のあるものではない。本当に重要なのは、その事例やビジネス・モデルを使って「誰が」それを実行するかが重要なのであって、他社がそのアイデアを盗んだところで、そう簡単には事業化できないものである。

そして、お互い営利を度外視したゆるい関係の中でなければ本当のイノベーションは起こらない。そのような関係性を構築できる研究者と実務家の連携が今後重要になるのは間違いない。10年先、20年先を見て、次の世代に何が残せるかというくらいの大らかな共同研究でなければ、おそらくお互いが相手から何を盗んでやろうか、どんな情報を得てやろうか、というような関係になり、最後はお互いが搾取し合うみじめな状況が待っていることになる。お互いが与え続けるくらいのゆるい関係が、偉大なイノベーションを誘引する引き金になると考える。