スペシャリストの生き方

自分だけの生態学的ニッチで生きる

この世界に「独り勝ち」はあり得ない

日本という国は本当に冷たい社会である。貧富の差はどんどん拡大し、お互いのことに対して配慮がなくなってきている。自己責任という言葉で、貧困も本人の責任としてすべて押し付ける。そもそも、多くの富裕層は、日本に貧困層がいることにも気が付いていないので、自分がそのような貧困層に対して冷たい態度をとっていることも気が付いていない可能性がある。故意ではなく過失なのである。富裕層と貧困層では、お互いが見えない人々なのかもしれない。

そして、この貧富に影響を及ぼすのが学歴であるが、日本で大学進学して卒業するには、能力ではなくお金が必要である。おおむね真面目に大学の授業を受けて最低限のことを勉強しておけば、卒業できないことはない。退学しなければならない理由は学びについていけないというより、経済的理由もあるであろう。そもそも、経済的に4年間で500万円~1,000万円もかかることを考えると、大学進学という選択肢を最初からあきらめざるを得ない人も多い。吉川徹『日本の分断』(光文社新書、2018年)によると、若年非大卒女性の年収は120万円~180万円であるにもかかわらず、子どもの数が飛びぬけて多い層とのこと。この事実に驚いているだけではいけない。この年収では、将来その子どもたちが大学へ進学することは、全額返済不要の奨学金でももらわない限り不可能であろう。非大卒の親の子どもがまた非大卒になり、本人の所得に影響を与える。これでは、日本の人口減を食い止める偉大な仕事を担っているセグメントに対し、日本社会が支援していない冷たい社会であるといわれても反論はできない。そして、高等教育への公共投資を怠る日本社会の構造をすぐには変えられないのであれば、せめて、大学進学以外の道で費用のかからない充実した技術学校が必要で、誰もが手に職をつけられる方法が求められる。とにかく、すべての日本人が世の中の役に立つ技術を磨き、生活水準を底上げしていく必要があると思う。誰もが努力すれば報われる環境整備が必要で、機会の平等は確保されなければならない。

たしかに、自分一人が声高に叫んでも社会を変えられるものでもないが、このような事実について多くの人と対話し、選挙にも足を運び、目の前のできることをやってみる、という意気込みは必要である。自分だけよい大学、よい会社に行き、キャリアアップして、という妄想もいいが、やはり世の中、独り勝ちなどありえない。サブプライム住宅ローン危機は、エリートが働く金融機関が、貧困層にローンを貸し付けて儲けようとして、最後はエリート層も損失を被ったケースである。独り勝ちなどできないという典型だ。結局、独り勝ちしたと思っても、自分が生きている社会が荒廃したり、治安が悪化したり、腐敗していれば、幸せを感じることは難しいであろう。エリート意識に包まれて優越感を感じている場合ではない。自分一人が選挙で投票しても変わらないとあきらめている場合でもない。とにかく、おかしいことに対しては、おかしいと表明し、小さなことからはじめるべきである。選挙に行く、寄付をする、ブログを書く、友達と議論する、本を書く、動画を作る、なんでもいい。筆者の場合、世界のどこかの国の子ども一人に対して、毎月4,500円の寄付で支援している。各国で実行されるプロジェクトは5年くらい継続し、プロジェクトが終わると新しい次の国へ支援が移る。そのたびに、当該国のことを知ることができる。学びに対して毎月4,500円を支払っていると思えば、その価値もあるであろう。