論文博士の制度をもう少し体系的に再構築していくことが、これからの大学院には重要だと思われる。お金がなくてもある一定の努力さえすれば博士号を取得できることにしないと、わが国における教育機会の不平等はどんどん拡大していく。若いころ経済的な理由で大学に進学できなかった、あるいは大学院に行けなかった人が社会に出てから論文を書き上げるということは十分あり得る。あるいは、退職する前に博士号を取得して退職後の事業に活かす、あるいは退職後に時間にゆとりができたので職業人生の仕上げとして博士論文を書くというのもあろう。いずれにしても大学院に通わなくても自分の研究テーマについて審査できそうな教員を見つけて相談し、論文博士に挑戦するということがもっとあってもよいと思われる。
具体的な制度設計に関して試案を述べると、まずは、仮審査によって論文の草稿が十分な水準にあるのか、あるいは形式的要件を満たしているのか確認する。そのとき、望ましい論の展開や構成、参照すべき文献など、指導教授が助言をする。仮審査には3か月かけ、仮審査の後、本人は論文草稿に加筆・修正する。加筆・修正には3か月程度の期間は確保する。その場合、指導教授の助言を論文に反映させていく。加筆・修正が終了した後、予備審査にはいるが、この時点では論文はほぼ完成させており、予備審査に入るとまた3か月の審査期間を確保する。この3か月の間に誤字脱字の修正、引用文献漏れの補筆なども含めた最後の加筆・修正すべき箇所を確認し、その時の加筆・修正はワードの修正履歴を残したものと修正履歴なしの正本を作成する。これらの作業を経たあとに論文は製本されて修正履歴のある論文とともに提出され、6か月の本審査期間に入ることになる。全体でどの程度の期間になるかというと、仮審査が3か月、加筆・修正期間が3か月、予備審査が3か月、本審査が6か月となり、通算で1年3か月と長丁場になる。もちろん、それぞれの期間には長短あってもよいと思うし、ケースバイケースでもよい。あくまでも制度設計の目安である。
ポイントとしては、予備審査に入る前に指導教授の指導を入れること。課程博士のような手取り足取りの指導ではないが論文の精度や水準を上げ、構成を高度なものとするためにもこのプロセスがあったほうがよい。また、予備審査という論文を「熟成」させる期間を設けて、不備や議論の甘さを修正する機会を確保する。これは意外に重要だと思うのは、論文を完成させるのに精根を使い果たし、燃え尽きたときには些細な誤りなどに気づかないことがある。予備審査という熟成期間を設けることで意外な盲点や不備に気づくことがある。これは必至で論文を書き上げているときには気づかない。論文完成後に一息ついたときに自分で不備を発見することがあるからである。布団に入って寝ようと思ったときに急に思い出すなどがあると思う。正しい日本語表現という初歩的な観点からもあとで気がつくことがあるが、これが修正できないよりは本審査の前で修正機会があるほうがよいであろう。さらに、審査教員の負担を減らすためにもこの時点でどこが修正されたのかわかるようにワードの修正履歴を残した論文と製本された論文を本審査のために提出することにすればよいと思う。IT技術など使えるものはどんどん活用すべきである。昔の手書き論文の時代とは違うのであるから。