スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

職務給は専門家になるインセンティブ

国際競争にさらされる昨今、これ以上メンバーシップ型を維持するのは、日本企業にとってコストの面でも競争力強化の点でも無理があり、今後はジョブ型に変化していくことになる。なぜなら、少子高齢化労働人口が増えないなかで、あらゆる年代の層で男女問わず活躍していかなければ会社が回らなくなるからである。また、外国人労働者にも活躍してもらわなければならない。そんなときに職能給重視の年功賃金では、優秀な人材が会社に来てくれない、あるいは会社に留まってくれなくなる。

職能給の「能」は、本来は能力の「能」であるが、実際に能力をはかるのは難しいので、年齢が上がると能力が上がるという想定のもとに年功賃金制として職能給といっている。しかし、その想定は幻想であり事実ではない。たとえば、私のパソコンの運用能力は業務遂行上で支障はないものの、入社2年目や3年目の若手で、私の何倍もパソコンに熟練した技術を持つ人材は多い。エクセルの関数やプログラミング言語を使わせれば、あきらかに私より良い仕事をする。50代の私と20代の彼ら彼女らと比較すると、明らかに私の年収が多すぎであり、もし業務の大部分がエクセルを活用することであれば、その給与格差は是正されなければならない。

それでは、私は20代の人材と同じ所得に甘んじるのかというと、異なる職務でさらに高い成果を出す必要があることになる。そして、これが職務給の利点でもある。職務給は、それぞれの仕事の範囲や内容、責任や権限が職務記述書(ジョブ・ディスクリプション)に記載されており、その職務の内容と成果によって給与が決定される。AIも職場にますます利用されることになるので、反復継続作業のような仕事では今後職を失いかねない。よって、だれもがAIができない仕事や他人には代替できない仕事の能力を高め続ける必要がある。「継続は力なり」が、今の時代こそ重みのある言葉として受け取られることになる。

このように、職務給になると、難易度の高い職務に挑戦する人は、高い報酬を得ることになり、難易度の低い職務に挑戦する人は、それなりの報酬となる。ある意味で会社に自分の報酬決定権を握られているのではなく、選択肢の中から自分で報酬を決めることができることになる。

現実には明確に職務の範囲や難易度、責任や権限を確定するのは難しいであろうが、その内容と報酬に透明性があれば自然に落ち着くところに落ち着くであろう。難しいことを考えることはない。透明性を維持した制度の中では、だれも不満をいえなくなる。ある程度、職務に対応する報酬が明らかであれば、「あいつはもらいすぎだ」とか「自分は搾取されている」とかの不満もなくなる。すべては見えるからである。一方、それこそ人生は死ぬまで勉強ということで、自分の実力を高める努力は怠ることができない。