職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

メンバーシップ型からジョブ型へ

濱口佳一郎『若者と労働者』(中公新書ラクレ、2013年)によると、日本型労働市場を「メンバーシップ型」と呼び、欧米型労働市場を「ジョブ型」と呼んでいる。濱口氏の作った造語であるが、双方の労働市場の特徴をよく表している。

日本は「就職」ではなく「就社」といわれるように、大学を卒業してある会社に入ることが目的のようなところがあるが、ヨーロッパもアメリカも、会社はある特定の仕事に対して人が必要なので、その仕事に適合した人材を採用することになる。日本のような新卒一括採用なる制度はなく、普通は大学卒業後、自分に合った仕事すなわち「ジョブ」がみつかるまで待つことになる。そして、一度「ジョブ」がみつかればその分野の専門家として生きていくことになり、転職したとしても通常は同じ職種に就くことが多い。

一方、わが国の場合、会社が新卒を一括採用するので仕事ありきではなく、その会社の「メンバーシップ」になることが目的となり、その後に「ジョブ」を決めるための配属発表がある。仕事に就くのではなく会社に入ることに重きがある社会といえる。よって、会社に入ったあとは、いろいろな職種を経験することがあり専門家もあまり育たない。さらに転勤という制度もあり、辞令ひとつで国内外どこでも勤務地ということになり、単身赴任などという家庭生活が度外視された慣行がまかり通ることになる。

どちらがよいかという議論をここでするつもりはないが、メンバーシップ型社会では比較的失業率が低い傾向がある。なぜなら、新卒社員など即戦力にならない人材を大量に採用してしまうわが国の新卒一括採用制度が、失業率を下げてきたためである。しかし、問題は新卒一括採用時に就活に失敗した人は、敗者復活できないことである。また、好景気の時代に大学を卒業した者と不景気の時代に大学を卒業した者の間にあきらかな不公平がある。単に運の問題であり能力や実力の問題ではない。

一方、ヨーロッパもアメリカもジョブ型なので、どちらかというと欠員補充のような採用となり、結果的に即戦力として仕事ができなければそのポジションに採用されることはない。よって、能力を磨き続ける人材には、いつでもチャンスはあるという意味で公平ともいえる。

そして、資本主義における株主の視点から考えると、なぜ役に立たない新卒を採用し、無駄な人件費を支払うのかという主張が出てくる。経営者の反論は、いや人材を若いうちから育てて、将来の戦力を養成しているのだ、ということになるだろう。

しかし、日本企業の人材育成が優れていれば今の日本企業の凋落は起こらなかった。また、若い人材も自分の勤務先に育ててもらい将来恩返ししようなどという発想も希薄になっている。そもそも経営者は自分の在任中の成果を考えると、未来への投資など考えないし、若い人材も自分が生きている間の、自分の勤務先が残っていることも確信していない。このような相互認識では、新卒一括採用、終身雇用を前提としたメンバーシップ型は終わることであろう。メンバーシップ型からジョブ型への流れは止められないと思われる。