職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

実践に勝るMBA教育はない

アメリカ企業であれば、かならず、職務記述書(job description)が提示され自分の職務が明確化される。外資系企業で働いた経験がある人であれば、いわゆる「ジョブ・ディスクリプション」という表現をよく使うであろうが、自分の職務、役割、責任、権限などもわかり、職務の達成度合いで人事考課も決まる。このような仕組みにおいては、たしかに専門家は育つであろう。ただ、専門家は育つが経営全体を俯瞰できるジェネラリストは育たない。だから、経営の基本が学べるビジネススクールの存在意義はある。

そして、アメリカにおけるビジネススクールは、経済界からの要請をきっかけに設立されており、その教育内容は実務に対応できる内容となっている。よって、経済界の期待に応える形で教育内容も進化し成熟してきているわけである。しかし、日本において経済界がビジネススクールの設立を促したという話は聞かないし、そもそもそのような教育は企業内で行われるものと考えられている。結果的に、わが国ではジェネラリストばかりでスペシャリストが育たなかったことになる。逆にスペシャリストを育てるアメリカであるからこそ、経営の基礎が網羅的に学べるビジネススークが必要だったことになる。

また、遠藤功『結論を言おう、日本人にMBAはいらない』(角川新書、2016年)でも、日本企業はMBAの価値を認めてないと断言する。たしかに、日本企業の場合、現場におけるOJTが重要と考えられているし現場での痛い経験を経るからこそ、身につく技能や勘というものがある。ビジネススクールに2年間通えば何かとてつもない実力が身につくというのは幻想であろう。

遠藤氏も強調するように、とくに若いときには企業の実践の場で鍛えられるべきであり、ビジネススクールには行くべきではないという。本当の実力は現場体験でしか得られないので、企業もビジネススクールに社会人を送り込んで、会話にカタカナ英語ばかりちりばめるような分析屋など量産すべきではないとする。

たしかに、実践でしか学べないことは多く、ビジネススクールの単純化されたケース・スタディーなど本番では役立たないのかもしれない。そして、とにかく実践を積めという助言については首肯できる。人材育成の過程でよくみられることであるが、多くの失敗や痛い経験を経てきた人材は、やはり度胸があり、あらゆる困難に挑戦していることが多い。人によっては挑戦をゲームのように楽しむ場合もある。命を取られるわけではないので、なんでもやってみようというわけだ。

また、命を取られるかもしれないような職業でも実践がもっとも効果的というのは同じようである。自衛隊の特殊部隊の創設者である伊藤祐靖氏の『国のために死ねるか:自衛隊「特殊部隊」創設者の思想と行動』(文藝春秋、2016年)において、ビジネスにもつながる事実が述べられており納得した。彼によると戦闘行為に関する知識と経験の90%は、自衛隊を辞めてフィリピン・ミンダナオ島の海洋民族のトレーニングパートナーとの訓練から身についたものだそうである。そのトレーニングパートナーは圧倒的な実践経験があり、およそ自衛隊の訓練で身につくような戦闘技術ではないそうである。実践にまさる訓練はないというのは真実であり、ビジネスの世界でも同じことがいえると思う。