スペシャリストの生き方

自分だけの生態学的ニッチで生きる

多様性の創出に貢献しない法科大学院

過去を振り返り、法科大学院のために費消した資金を研究者の卵に奨学金として提供していたら、今頃どれだけ優秀な人材を輩出できたかと思うと悔やまれる大学院もあるのではないか。今となっては結果論で取り返しがつかないが、給付型奨学金制度で大学院生を一か国か二か国に留学させ経験を積ませるほうが、よりその大学院の発展に寄与したということもあったのではないかと思う。

そして、重大な問題は、鳴り物入りで導入された法科大学院で定員割れ問題が顕在化し、法科大学院への志願者も軒並み減少していることである。もっとも多いときで74校あった法科大学院もその半数が学生の募集停止に至っているという。アメリカの制度を模倣して、深く議論することもなく拙速に導入されたものであるが、そろそろアメリカという国が特殊な国であり、アメリカの制度が日本でも馴染むという幻想は捨て去らなければならない。

そして、法科大学院は、「懲役2年、罰金300万円」と揶揄されるように、最低2年の修学年限があり、その間仕事ができずに収入が途絶えることになる。しかも入学金と学費は2年で最低300万円という経済的負担となる。さらに、司法試験合格後は公務員に準じた身分で最高裁判所司法修習生として採用され裁判実務などを学ぶわけであるが、昔は給与が支給されていたにもかかわらず、2011年以降は給与ではなく貸与制になった。最高裁判所が、生活資金を司法修習生に貸し出し修習後に返済することになる。結果的に収入がない期間が長期に固定され学費等の出費がかさむため、本当に裕福な家庭の子弟でなければ司法職に就けないということになっている。本来であれば多様な法曹を育成するという趣旨で、法科大学院構想が持ち上がったはずであるが結果はその真逆となってしまった。

昔は何年も司法試験に挑戦して、大学の自習室で暮らしているのではないかと思えるような輩もいた。風呂に行くお金も節約して大学の洗面所で体を拭いてしのいでいたら、警備員が入ってきて顔お合わせ気まずい思いをした、などという話もあった。主婦だろうが、学生であろうが、浪人生であろうが、誰でも司法試験に挑戦して、老若男女を問わず法曹の世界で活躍できる機会の平等があったのである。