スペシャリストの生き方

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「論文博士」の評価基準は明確か

一般的に論文博士で博士号を取得しようとするケースは、①大学教員でありながら博士号を取得されていない者が論文を提出して学位を申請する場合、②社会人が自分の職業経験をベースに、その経験を理論化して論文を提出して学位を申請する場合の二つのパターンがあるのではないかと思われる。

これらの論文が全て、学問の進歩にいかほどの意味や価値を提供できているかというと、かならずしも全ての論文が秀逸である、とはいえないこともあると思う。ある一定の水準は超えていなければならないだろうが、実際にはもう少し水準にバラつきがあるのではないだろうか。大学教員が当該大学に多大な貢献をして退職間際に論文博士を申請する、あるいは、すでに出版されている書籍を論文博士として審査してもらうということもあり、それらの論文のすべてが、従来の学問を格段に前進させるものであるといえるほどのパワーがあるかというと、かならずしもそうでないケースもありそうである。その辺の事情は、それぞれの分野の権威に本音を聞いてみたいものである。

しかし、論文博士と課程博士で、そもそも同じ博士号に顕著な差があっては困るのではないでだろうか。海外では、どちらもPh.D.というわけだが質に差がるのであれば、普通のPh.D.とスーパーPh.D.とでもしなければならない。この点、もう少し同じ水準にする擦り合わせが必要なのではないかと思う。あるいは、水準が同じだとしても実務経験をベースに書かれた博士論文の評価基準を明確化するなど必要だと思われる。ある大学教授からは次のようなアドバイスをいただいた。

 

「日本では、大学院で文系の博士課程を終了した場合でも、課程博士の博士号を取得することは大変困難であります。近年、文部科学省の指導により、留学生に対しては博士号の授与の基準がやや緩められましたが、それでも取得することは難しい状況です。そして、論文博士の場合は、さらにその基準が高く、本研究科においても、論文博士を授与した例はほとんどありません。」

 

なんとも論文博士の難しさばかりが際立つわけだが、さらに、留学生と日本人の間にも課程博士における論文の評価の基準に差があるようだ。しかも文部科学省の指導によるもので。よって、博士の質にこのようなバラつきがあるのであれば、Ph.D.といっても取得者によっては別物の可能性があるということである。やはりこの点、水準の明確化していかないといけないように思う。いずれにしても、課程博士に比して論文博士に求められる水準は高いようなので、今後、社会人の論文博士の制度を活性化させるためにも、水準を課程博士と同じとしつつ、要件の修正などが必要だと思われる。あえて論文博士のハードルを引き上げて、課程博士に誘導することが目的であれば、それはもう学問ではなくビジネスということになろう。