職人的生き方の時代

自分だけの生態学的ニッチで生きる

共著『なぜ社会人大学院で学ぶのかⅠ』の予約注文

リンクのとおり共著『なぜ社会人大学院で学ぶのかⅠ』の予約注文が開始されました。予約注文が200件に達すると電子書籍ではなく単行本として出版されるということで、「予約注文支援プログラム」といたしました。今考えると「予約注文サポート制度」の方がよかったかと思いますが。いずれにしましても予約注文を通してご支援いただければ幸いです。支援いただいた方のお名前は、執筆者一同お礼の気持ちを込めて、はしがきに掲載させていただきたいと思います。

<予約注文支援プログラム> なぜ社会人大学院で学ぶのか Ⅰ - 人生100年時代の学び直し | アメージング出版の販売サイト

過去の経緯ですが、昨年から「働きながら社会人大学院で学ぶ研究会」というのを立ち上げています。

働きながら社会人大学院で学ぶ研究会 CAMPFIREコミュニティ

この研究会のメンバーと昨年12月に成果物として共著を出版できないか議論いたしました。その後、出版企画、概要の作成、原稿の執筆と順調に進み、約半年程度で出版までこぎつけるという異例の速さで実現したことになります。

私一人であれば最低でも1年は必要だったことですが、やはり10名の執筆者であればあっという間に実現することに自分でも驚いています。またメンバーもみなさん前向きで、とにかく楽しんでいます。たとえ成り行きで実施してしまった企画だったとしても、やって良かったと思っています。

今の時代、慎重に企画を立案し、多くの人の承認をもらいながら物事を進めるより、見切り発車で面白おかしく実行していると、賛同者がついてきてくれるのかもしれません。眉間にしわを寄せて考えているくらいなら、もうやってしまうということでしょうか。

しかも、『なぜ社会人大学院で学ぶのかⅠ』としているくらいですから、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲと続ける予定です。そのうち執筆者も集まるだろうという楽観的な目論見で進めています。走りながら考え、とにかく「やってみなはれ!」の精神で、行けるところまで行ってみようという企画。よろしければ研究会に参加いただき、共著者になってくれる方がいれば嬉しいです。お待ちしております。

日本人の長時間労働はゼネラリストであるため

一つの会社に所属し、人事異動でいろいろな仕事を経験してゼネラリストとして生きる日本人というのは、昭和の時代は当たり前でした。ゼネラリストであれば他者との差別化も難しく、長時間労働でもするかということになったのでしょう。よって、長時間労働の要因は、日本の労働者の多くがゼネラリストであることなのではないかと私は思っています。

一方、スペシャリストであれば、あらゆる仕事は自分の裁量で処理でき、突発的な案件が来ても、入口から出口まで見通せるのでストレスも少ないことが多いことでしょう。これがゼネラリストであると右往左往してしまい、誰に聞けばいいのか、何を調べればいいのか、とにかくわからないから大騒ぎし、結局仕事も後手に回ります。

冷静に考えれば、すべての日本人が職人のようにスペシャリストになれば、組織内の業務はかなり効率的に処理できるはずなのに、ゼネラリストも必要であるという議論が残り続けるのはなぜでしょう。その理由は、ゼネラリストが自分の存在意義を失いたくないために必死で「ゼネラリスト必要論」を主張しているためだと思います。ジョブ型ともいわれていますが、メンバーシップ型が心地よい人がまだ多数派なのでしょうね。

本来であれば、現在ゼネラリストの人も少し努力し、専門性を身につけてスペシャリストに転換すればいいのですが、その「少しの努力」をしたくないので、ゼネラリスト必要論に傾くわけです。労働市場においてほとんど値段が付かないゼネラリストですが、市場価値があるように振る舞うためにもゼネラリストに価値があることにしなければなりません。

結局、長時間労働を改善したくても、ゼネラリストであり続ける限り長時間労働は解消しません。一方、「少しの努力」も実践したくないので、長時間労働という不思議な努力に精を出します。これが長時間労働の正体ではないでしょうか。

こんなことを続けている限り女性の労働市場への参加は困難で、外国人労働者もバカらしくて会社を去っていきます。今ゼネラリストも必要だとか、全員がジョブ型になる必要はないと主張している人が制度を維持し続ける限り、長時間労働の解消は不可能なことでしょう。

文藝春秋の学歴詐称工作の記事を読んで

小島敏郎小池百合子元側近の爆弾告発」と北原百代「カイロで共に暮らした友への手紙」文藝春秋102巻5号を拝読いたしました。本当は福島雅典「コロナワクチン後遺症読者の疑問に答える」を読もうと思って買ったのですが、その前に掲載されている記事の方に興味が行き先に読みました。

学歴というのはここまで人について回るものなのかと不思議に思います。人が普通に暮らしている分には、誰がどんな学歴であるかなど関係ありません。仕事をしていても、おでこに学歴が表示されているわけでもないし、背番号のように背中に記載されているわけでもないのでわかりません。

私もこだわるかというと、何を学び研究したのか、そしてその結果今の自分があることが示せるという点でこだわることはあると思います。ただそれは自分の専門分野が何かを示すためであり、どこの大学を出たかということへのこだわりはありません。

よって、専門書や一般書を出版する時も、大学名と自分の専攻を記載しています。ただ、一般書を出す時は所属会社は伏せています。社名を出す場合は広報部に承認をもらわなければならないので、その煩わしさを避けるためです。特に職歴を詐称したいとか隠したいということではありません。このブログのプロフィールもそのことに配慮しています。

今回の小池氏に関する記事が真実であるかどうかは別にして、たしかに学歴にこだわる人が身近にもいることに気づかされました。たとえば、博士課程を修了して博士号を取得できているのか不明でありながら博士と表記する人。博士課程に在籍していたでしょうが、博士号は取れいるのかどうか定かではない。博士課程に在籍したと、博士号を取得したでは違いますが、「博士」という表記が何を意味しているのかわかりません。しかも海外の大学であれば確かめようもない。今回の小池氏と同じパターンで、その人のことを思い出しました。

あるいは、東京大学で博士号を取ったといいながら、その記録が出てこない人。法令で博士論文の公表義務があるので、そのような嘘は簡単にバレるのに、それでも東大博士として論文指導などのビジネスをしている人がいます。

また、60歳を過ぎているにもかかわらず、いまだに早稲田大学の稲門会の写真を頻繁にSNS上に投稿している知人もいます。「稲門会=自分」なのかもしれませんが、稲門会と関係ない私には興味もありません。先日、知り合いではないですが電車の中で小さく「早稲田大学」という文字が書かれたキーフォルダーをカバンに付けていた同世代か少し上の人も見かけました。その方も「早稲田大学=自分」なのでしょう。

私は東洋大学出身ですが、そのような思い入れがありません。難関大学でもないし、卒業後に大学のおかげで何か得をしたということもないからでしょうか。それどころか、先日図書館で本を借りるため校友として入構しようとしたら正門でブロックされ、警備室前で入構手続をさせられました。

開かれた大学といいながらこれではいけません。しかも私立大学といえども私立大学等経常費補助金という公金が使われているのですから、大学は文字通り物理的にも開かれていなければならないでしょう。3人の子どもたちにはこうい大学には進学すべきではないとアドバイスしました。このように管理強化をし統制をかけている大学は学問の自由すら怪しいと思うからです。

博士課程は神戸大学ですが、先日あるサークルの学生が旅館における器物破損事件を起こして問題となっていました。それとて私とは関係ないし、私の信用が失墜するこもありません。今は次の博士号に向けて高校数学から勉強している自分にとっては、すでに修了した大学は過去のものです。

「学歴=自分」というのは不思議なものです。本来はその学歴を使って何ができるか、どのように社会に貢献できるか、あるいは今後何を創造できるのかの方が大切でしょうが。何かを創造していくことができないとあきらめた場合に、過去の学歴に紐づけられた自分として生きていくことになるのでしょうか。そうならないためにも、日々研鑽していく自分であろうと思います。

軍艦島にみる昭和の働き方

先日長崎を訪ね、幸いにも軍艦島に上陸することができました。波が荒いといきは船が島に接岸できないということでしたが、私たち家族が乗った船はうまく接岸し上陸することができました。プロのガイドの方は、大学院で建築学を学ばれた方だったので、炭鉱の構造や労働環境についても興味深く解説いただきました。

そこで感じたことは、やはり昭和の時代と今では明らかに人々の労働環境は改善されているということと、人々の働くことへの意識も大きく変化しているということの2点でした。

まず、労働環境については、炭鉱に事故がつきもので、やはり命がけの仕事だったということがわかります。毎日命があることに感謝せずにはいられないくらい死と隣り合わせの環境だったわけです。子どものころ北海道に住んでいた私も、1981年に発生した夕張炭鉱事故は記憶にあります。毎日テレビで中継され、死者が運び出されたり、消火活動の詳細が報道されていました。最後は、坑内に残された労働者がいるにもかかわらず、消火活動のために注水されるということになり、悲惨な結末となりました。

それに比べて現代の職場環境で危険な場所は限られています。金融サービス業ということもあるかもしれませんが、私の職場にそのような危険な場所はありません。IT産業なども危険な職場環境とは無縁でしょう。現在の私たちの多くは、安穏としていても命の危険がない幸運を噛みしめなければなりません。

また、現地で軍艦島の写真集に接する機会があったのですが、人々の労働に対する意識も命がけだったというのがわかりました。1974年に軍艦島端島炭鉱が閉山しますが、その後、残務整理などで島に残っていた人がいます。その中で労働組合の三役の一人がすべての業務が終了し、北海道にいる同僚と再会した後、自殺をしてしまったという出来事がありました。その方にとっては、端島炭鉱での活動は人生のすべてだったのでしょう。何とも悲しい結末なわけですが、当時の人の仕事に対する思い入れが感じられます。

一方、現代の働き方は変わりました。自分の配属先に不満があれば転職する人はいくらでもいます。上司とそりが合わないとして会社を辞める人もいます。それだけ選択肢が増えて逃げ場があるということです。この点でも現代人は幸せです。自分の求める理想像を掲げて、職場を変えることがきでるわけです。

軍艦島への上陸は、単なる懐古趣味や廃墟マニアの見物としてではなく、昭和と現代のコントラストを感じるのに非常に有益でした。長崎の原爆記念館と並んで、ぜひおすすめしたい観光名所であることは間違いないと思います。時代が軽くなっていることを実感できます。

出版作業でわかる一緒に仕事をしたい人

2冊の共著の編集をしていて気がついたことがあります。それは自分が見えている世界が、他の人も見えているとは限らないということです。共著の形式や内容に一定の統一感は必要になるので事前に執筆要領が手渡されます。すべての著者は同じ要領を確認し、執筆を始めますが、出来上がった原稿はバラバラということがあります。

同じものを読んでも解釈が変わるのか、そもそも要領が頭に入らないのかわかりませんが、編集している側では、出来上がる原稿に相当なバラつきが生じるのは、そういうものだとあきらめるしかありません。それから表記ゆれを直したり、見出しを工夫したりしながら、読者目線の原稿に整えていきます。

執筆者全員が立派な大学を出られ、その後、高度な職業に就かれ、さらに高等教育を受け続けている人たちもいましたが、文章を書くということはまったく別次元の話だということがわかりました。

最近の大学入試は総合型選抜という小論文や面接を課した入試形式が増えているといいます。たしかに会社に入れば、稟議書や報告書など文章を書く機会は多いので、その部分の能力は鍛えておくことに越したことないと痛切に感じます。採点する側の負荷は相当なものでしょうが、大学入試全体が総合型選抜になれば、日本の高等教育の風景もかなり違ったものになるでしょう。

もうすぐで、2冊の編集作業は終了いたしますが、そこから多くの学びや気づきがあれば、執筆者にとって有意義な企画であったことでしょう。そして、少なくとも私には大きな気づきがありました。一緒に共著を出すことによって、その人が見えている世界もわかるし、文章を書く技術力がどの段階にあるのかもわかります。次も一緒に何かを書きたいと思わせる人も見えてくるので、共著の執筆というのは、ある意味で次のステージへのリトマス試験紙だったともいえます。

また、文章というのは、その人の技術がどの水準にあるのか証拠が残るので、気をつけなければならないとも思いました。自分もあちこち証拠を残していることになるので、実は怖いことでもありますね。身を引き締めていかなければと思います。ほどほどにですが、、、

文藝春秋のワクチン後遺症の記事を読んで

福島雅典「コロナワクチン後遺症の真実」文藝春秋102巻4号を拝読しました。後遺症に関する内容はそういうこともあるだろうなと想定がつくものが多かったので、驚くような新発見はありませんでした。よって、私が読んで気づいた希望について整理しておこうと思います。

日本国民の8割が接種しており、妻も2回、母も4回、その周りの親戚や友人もそれなりに打っています。自分自身は最初から懐疑的だったので見送り、3人の子どもたちにも打たせないと判断しました。

それは、各種論文を読んで判断したなどということではなく、人類を絶滅させるウイルスなど論理的にこの世に存在することができない、というシンプルな理屈からそのように考えたということです。マスクについても直感として、人間以外の動物でマスクをしないから絶滅しましたなどという生き物はいないわけで、道理に合わない専門家の意見にも賛同できませんでした。

ただそれだけなのですが、これだけワクチン後遺症と思われる事象が相次ぐとどうしたものかと考えてしまうわけです。しかし答えはシンプルなようです。福島氏による8割の日本国民へのアドバイスは、食事、運動、睡眠、心のあり方を整え、免疫機能を低下させないことでこれに尽きるといいます。これは残りの2割の国民、すなわち万人に共通するとてもシンプルな助言です。拍子抜けしますが真実なのでしょう。

井上正康『きょうから始めるコロナワクチン解毒17の方法』(方丈社、2023年)でも、カテキンターメリック、納豆、食物繊維を摂るなど提言され、また、16時間断食をするなど、何かすごい打開策があるわけではなく、過去から一般論として提言されていたものが多いわけです。

そういう意味では体によいことを淡々と実践するだけなのですが、それができないのが現代社会なのかもしれません。ある意味このような簡単なことも実践させてくれない社会を強制的に修正するのがワクチン問題かと。これからは働き過ぎない、勉強しすぎない、遊び過ぎない、運動もやり過ぎない、何ごともバランスが大事ということです。あるいは、権力、お金、地位や名誉などに対する欲望もほどほどにしましょうということでしょうか。

文藝春秋の記事は実家の母にも送りました。「コロナワクチンも色々わかって来ると恐ろしいですね。コロナも一度なったら免疫が出来ると良いのに… コロナにならない様気をつけないとネ。」とメッセージをくれました。内容は理解してくれたようですが、まだコロナは怖い病気と刷り込まれています。本当にコロナ問題の根は深い。だからこそ世の中を変える力があるのかもしれません。

今年から来年にかけてワクチン情勢も大きく変化するのでしょう。私もこれ以上パンデミックの残滓に時間を取られる余力もないので、自分の周囲や社会が希望が持てるようなことに微力ながら取り組ませてもらおうと思います。善悪の判断や裁きよりも、少しでも前に進める人生や社会を願いながら。

競争社会が正しいという幻想から降りる

ビジネスの世界も学術の世界も常に競争すると成果が出るようにいわれていますが、私はどちらの世界も徹底的に競争を回避してきました。その結果、どちらの世界でも満足のいく成果を出すことができました。

競争を回避するとは、競合の少ない分野をみつけてコツコツ継続するだけのことです。継続の先には、当該分野におけるダントツの一位が待っています。「一位」といっても競合がいないだけのことなのですが。私の結論は、もう競争社会から降りた方がいいということです。それでも競争が善だと思う人は続けたらよいと思いますが、その先にあるものは疲弊だと思います。

他社あるいは他者と比べるというのはベンチマークとして便利なのですが、そもそも自分の成果と他社あるいは他者とは何の関係もないはずです。自分のやった仕事や研究が、果たしてどれだけ人を支援できたかが重要で、利益が出たとか○○賞を受賞できたというようなことは、後から結果としてついてくるものです。

隙間分野を探してそこで専門性を高めれば、その情報や知識を必要とする人に頼られます。その後、自分がやりたいと思うことは、いろいろ実現しやすくなります。

たとえば、特定分野についてダントツの強みがあれば、やりたい仕事ができます。サラリーマンをやっていると人事異動でやりたくない仕事もさせられたり、そもそも仕事が与えられないというようなことも生じるわけですが、そのようなことがなくなります。

あるいは、学問の世界で研究成果を公表したいと思えば出版という形で情報発信もできるようになります。ダントツの分野があれば、世の中でその分野のテーマで書籍を執筆できる人がいないわけなので、自分がやらざるを得ないことになります。声をかければ手を挙げてくれる出版社も出てきますし、研究素材を提供してくれるサポーターも出てきます。

このようにニッチな分野でスペシャリストをめざしておけば、おおむねやりたいことが実現するようになります。競争をしなかったからこそ確保できた立ち位置で、自由に好きなことをさせてもらっていることに感謝できるし、その幸運をテコに周囲に尽くしていけば幸せも感じられるわけです。よって、私には競争を煽る人のことが理解できないのです。その先に幸せがあるとうは到底思えないからです。