スペシャリストのすすめ

自分だけの生態学的ニッチで生きる

人生で大学に三回入学する

大学に三回入るとはどういことか。吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書、2016年)によると、OECDの2011年のデータ等に基づくと、日本の大学の25歳以上の入学者が占める割合はわずか2%しかいない。世界の先進国でこれほど低い割合の国はないという。

その他の国の25歳以上の割合は、スウェーデンフィンランドノルウェー、スイス、オーストラリア、そしてアメリカは約25%、イギリスは約20%、ドイツは約15%なので、日本が突出して低い割合であることがわかる。別の視点でみると、日本の大学で学んでいる学生がいかに同質で、年齢構成に多様性がないかということがわかる。そしてこのような日本の大学事情を踏まえて、吉見氏は人生で大学に三回入ることを提唱する。一回目は、今まで通り高校卒業後の18歳くらい、二回目が30歳前半、三回目が60歳前後とのこと。

まず一回目は、今までの大学生と同じで、高校卒業後に高等教育を受けたいという人が入学してくるタイミング。次の二回目は20代である程度の職務経験を積んで、自分の仕事の可能性と限界が見えてきたところで再考するタイミング。そのまま、組織の中で課長へ、そして部長へという単線的な道を歩むのか、それとも一回しかない人生に違う人生を選ぶのかを決める時期。あるいは、複数の可能性を確保する時期かもしれない。それが30代前半。そして、三回目は、職場でのキャリアをほぼ終え、定年を迎える時期。しかし、昨今は多くの人が75歳くらいまで元気なので、残りの15年を全力で何かに打ち込むために、その土台作りに60歳で大学に入るということになる。

このように、二回目と三回目の大学入学という潜在的な需要は膨大なものがあるという。そこを掘り起こすことで大学の存在価値を再構築できるのかもしれない。もちろん、人によって学び直しのタイミングや動機は異なるので、かならずしも30代前半、60歳前後ということにはならないかもしれないが、その年齢層が人生をリストラクチャリングするタイミングにいる人たちであることは十分あり得ることだと思う。

私の場合は、大学卒業後にそのまま大学院に行くことにしたので、二回目の入学というのはなかった。しかし、30代前半のときに伝統的日本企業を辞めて、自費でカナダへ学生ビザで渡航し学んだ。語学コースを受講し、そのまま大学院へも行くつもりであったが、銀行の預金残高がまたたく間に減り、1年足らずで急いで帰国し職探しをした経緯がある。日本で再就職後も、すぐに大学院博士課程で学ぼうと受験するものの、試験当日に激烈な体調不良に見舞われ、結局進学は実現しなかった。しかし、30代前半というのは、自分の進むべき道をあらためて選択し直す時期なのかもしれなし。

一方、私は60歳にはまだ時間があるものの、50歳過ぎてから博士課程に入学し、学びの機会を得た。授業では、20代前半の学生や留学生と一緒になるが、優秀な若者と議論するのは楽しいし、彼らも私を通して、自らの将来像を描けるのであれば、双方にメリットがあるのかもしれない。そのような意味で、吉見氏のいう人生で大学に三回入るというのはあり得るシナリオで、その潜在的な需要があるのであれば、大学側はそこに資源を投入して、体制やカリキュラムを再構築する必要がある。また、学ぶ側の人は人生の再構築に大学を活用することを選択肢に入れてもよいのかもしれない。

ただ、日本政府に一言申し上げたいことがある。それは日本の高等教育にはお金がかかりすぎるということ。教育への投資は、日本の未来への投資であることを考え、国の予算の配分を再検討をすべきだと思う。ここが解消されない限り、多くの人は二回目、三回目どころか、一回目の大学入学もためらうことであろう。私が最も残念に感じることは、一回目の入学すらあきらめている若者がどれほどいるのかということ。また、そのことを知ったとしても自分には何もしてあげられないということである。

社会変革運動の「ポリティカル・コレクトネス」

ポリティカル・コレクトネス(political correctness)という言葉を聞いたのは、2011年にカナダに住んでいたときだ。英語の授業の教材を読んでいるときに、このテーマが出てきて英語の先生が説明してくれた。文字通り表現が「政治的正しさ」や「政治的妥当性」を持っているかという意味である。英語の先生は、ジャマイカにルーツを持つカナダ人女性だったので、人々の発言や記述において、ポリティカル・コレクトネスを意識することが重要であることを教えてくれた。彼女がカナダ社会でマイノリティであることも、彼女の認識に影響していたのは間違いない。

そして、ポリティカル・コレクトネスの身近な例では「ビジネスマン」はいつしか「ビジネスパーソン」と言い換えられたのがわかりやすい。また、「チェアマン」は「チェアパーソン」に、「スチュワーデス」は「フライトアテンダント」に、「ファイヤーマン」は「ファイヤーファイター」にと修正されていった。意識するとしないとにかかわらず、いつの間にか表現が変わっており、私たちはその理由を深く考えることもなかったと思う。

馬渕睦夫『日本を蝕む新・共産主義』(徳間書店、2022年)によると、このようなポリティカル・コレクトネスの活動は社会を変革するための道具であるという。すなわち、政治文化の変革によって社会変革を達成するための文化闘争あるいは文化革命であり、暴力ではなく政治的・社会的な強制力によって変革は実現されるということのようだ。SDG'sの17のゴールの中にある、「5.ジェンダー平等を実現しよう」も、男女平等をはるかに超えた、男女の性差をなくすというおそろしい思想であり、既存の社会秩序を破壊するための施策であるという。

たしかに、ポリティカル・コレクトネスなどといわなくても、人々の寛大さやマナーのレベルで実現できることを、わざわざ伝統的な表現を修正してまで実践する意味は何なのであろうかと疑いたくなる。

「私はサラリーマンである」という表現は、「私はサラリーパーソンである」という表現に変えるべきなのか。「マン」を人類と解釈するなら「サラリーマン」で十分であろう。日本の会社員を表現した「サラリーマン」は文脈の中で適切に会社員の性質を表わしている言葉として大切にされていい造語だと思う。そこで、これはポリティカル・コレクトネスの視点で正しいのであろうか、などと考えていたら何も発言できなくなるし、そもそも既存の文化が壊され、まともな文学も育たなくなるのではないか。馬渕氏は、共産主義革命の一手法であることを指摘するが、そうなのかもしれない。

また、類似のテーマとして、キャンセル・カルチャー(cancel culture)がある。これも社会変革の道具と考えてよいであろう。著名人のSNSでの発言の不適切さを取り上げて、徹底的に糾弾し、社会的地位を失わせる行為。

Anna I. Krylov et. al., Scientists must resit cancel culture, Nachrichten aus der Chemie, (2022). によると、現代のキャンセル・カルチャーの問題点は、政府主導で行われる検閲ではなく、SNS等において私的制裁を加える人々の出現であるという。冷静に考えると、彼ら(彼女らと加えないといけないのか)の基準は公正であるのか、あるいは適切であるのかの検証はほぼ不可能である。

記憶に残る最近の事例としては、東京オリンピック会長だった森喜朗氏が失脚したが、80歳を過ぎた彼の発言を言葉狩りのように取り上げ、表舞台から葬り去ったあの出来事に、冷静な検証はなされたのであろうか。表現の自由として、政治的ではなく法的な正しさの視点からの議論が出たであろうか。キャンセル・カルチャーという道具を使い、正義を振りかざした世直し活動は、社会をどのように変革していくのか興味深い。私たち一人ひとりは、このような運動の背後にある動機や目的に少しでも注意を向けて警戒しておく必要があるのではないかと思った。

大学院重点化の失敗を成功に転化する

大学院重点化は失敗だった。1991年以降、東京大学大学院法学政治学研究科をきっかけに重点化を実施し、その後、他の国立大学も追随していった。その結果、大学院生は増加するものの、質の低下を招き、大学院修了後の就職先もない状況で、多くの無職の博士号取得者を生み出してしまった。しかもその惨状を見た学生が大学院を敬遠しはじめ、今度は定員割れも生じるようになった。

そもそも、日本の大学を含めた研究機関や教育機関における職は、少子化の流れで増えていくことはない。もちろん、大学数は増加したという事実はあるが、自由化の流れで認可の水準が下がり、新設大学が乱立したというだけであり、本当にそれだけの需要があったということではなかった。

日本企業も博士号取得者を必要としているところはない。文系はもちろんのこと、理系でさえも、自社で育成した人材に論文博士で博士号を取得させることでよく、わざわざ大学院で博士号を取得した人材を採用する必要はなかったのである。日本という企業組織に、入口の段階では博士号というものは不要といのが本音だと思われる。

基本的に日本企業の人的資源管理は、人材を自社で長期的に育成して抱え込もうという発想がある。中途採用で優秀な人材を取り込むより、新卒一括採用が主流なので、学部卒あるいは修士修了者を組織の一員として採用し、育成していくことになる。この前提では、年齢を重ねた博士課程修了者を採用する仕組みは存在していないことになる。

吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書、2016年)の指摘によると、日本社会は、大学院で学位を得た人材が専門職として組織を超えて活躍できる仕組みを作っていくことが必要であったという。その通りであり、日本社会には組織を超えて活躍できる場というのがない。結局、どこか一つの組織に所属して退職までいるというのが前提である。博士号取得者が、自分の実績を携えて、いろいろな組織で活躍するというシステムにはなっていない。

おそらく、今後も日本企業のシステムは急激に変わることはないと思われる。しかし、雇われる従業員の方から変わる可能性はある。文系と理系を一緒に議論することはできないかもしれないが、企業に所属しながら大学院で博士号を取得し、次の展開を考える人は増えるであろう。定年後の人生が延びたことも相まって、どこかで起業も考えなければならない人も増えるであろう。その時、自分の専門性がどれだけ深化あるいは進化しているかということも重要になってくる。

このように、自分の成長に合わせて組織を変える、時代の流れに合わせて自分の専門性を深化させるという人は増えると思う。よって、大学院重点化はある意味で失敗であったわけであるが、社会人の取り込みという意味では可能性はある。そもそも、日本の大学は学費がかかりすぎる。親の経済的負担を考えると、学部から博士課程まで通い続けられる人は多くはない。しかし、自分の稼いだお金で、自分で学費を支払うということであれば可能性もあるし、本人の学びに対する本気度も違ってくるであろう。

大学院重点化の失敗を成功に転化するには社会人のための大学院を制度化する必要があると思われる。すでに職がある人のための制度なので、無職者を生み出すこともない点、大きな利点である。

戦争はいつも情報戦からはじまる

第二次世界大戦後に、戦前と戦中に出版された書籍に対して、GHQが主導して焚書が行われていた。日本の歴史的な真実はかなりかき消され、その後の日本人が過去の事実を知る手段を奪われてしまったといことである。当時、日本が戦争をはじめた理由や、戦前の日本の置かれた状況など詳しく知ることができない日本人は、私も含めて日本が戦争をした悪い国という印象で刷り込みが行われたのだと思われる。

西尾幹二GHQ焚書図書開封』(徳間書店、2008年)で紹介されている、武藤貞一『英國を撃つ』(新潮社、1932年)の内容を知ると、第一次世界大戦におけるイギリスのプロパガンダについて理解できる。武藤氏によると、イギリス側が、ドイツ軍が婦女凌辱や小児殺害といった蛮行を続けているデマを流して、ドイツ軍の悪を世界に宣伝したという。武藤氏は、1892年生まれの軍事外交評論家で、戦後も活躍されていたようである。

結局、イギリスがドイツ軍の蛮行を非難する写真をでっちあげてプロパガンダに精をだしていた。第一次世界大戦からすでに宣伝戦が存在し、非常に効果をあげていたのである。この宣伝戦に乗ってしまったのが、アメリカの大学教授や平和団体、宗教家といったインテリで、イギリスのプロパガンダに踊らされて、真偽の分別もつかずに、むやみに騒ぎ立てたそうである。そして戦争が正当化されて参戦へと流れる。これは今も変わらない風景ではないだろうか。

西尾氏も指摘するが、湾岸戦争ときに、油まみれの鳥の写真がばらまかれたが、それが、やらせであった。あるいは大東亜戦争中も中国の赤ん坊を線路上に放置した写真をアメリカの有名な雑誌が掲載し、日本軍の蛮行をアピールするものの、それが合成写真であったことが後で発覚した。このような事例に接すると、第一次世界大戦から現在まで、人類がそれほど進歩していないのではないかということに驚く。

私自身、何よりも驚いたことに、インターネットがなかった時代に、すでに情報戦が功を奏していたという事実、またそのような情報戦が、反戦気分の市民を一気に好戦的で過激な市民に変えてしまうことを当時の軍事外交評論家は熟知していたということがある。武藤氏の分析力たるや相当なものであったと推察できる。

私たちは大量の情報を入手できる時代になったが、その中から真実を見抜くことが難しいことを考えると、むしろ第一次世界大戦当時より、現代は本物の情報を入手することが困難になっているのではないだろうか。ウクライナ紛争における情報戦に世界中の人は巻き込まれているということは認識すべきであるし、それを踏まえると迂闊な判断や決めつけは危険であるということは十分承知しておくべきであるということであろう。

社会人の戦略的な文系博士号の取り方

博士号に挑戦するのは何歳からでもいいという。吉岡憲章『定年博士』(きづな出版、2020年)によると、吉岡氏は2012年に修士課程に入学し、2019年に博士号を取得するまで、壮絶な経験を経ていることがわかる。博士号取得時の年齢は77歳で、MBA取得時が73歳である。ご本人の努力は想像を絶するものがあったと思う。

この体験談を読んでいると、博士号の取得のハードルが相当高く、普通のサラリーマンが挑戦できるものではないように思えてくる。博士号取得のステップも、学会発表審査、査読付き論文審査、論文最終審査と説明されている。論文の内容も新規性、有効性、了解性、信頼性が必要とされる。

ただ、前述のステップにある学会発表審査、査読付き論文審査などは、必ずしも必須条件ではないと思う。おそらく吉岡氏が社会人大学院生ということで大学院執行部側から設定された特別なハードルではないだろうか。普通の大学院生にこれらの高いハードルが課せされ、それをクリアしなければ博士号を授与できないという決まりにはなっていないと思われる。たしかに、簡単なことではないが、誰でも一定の努力を積めば博士号取得は可能である努力水準だと思う。大学院によって異なる基準があると思うので事前確認をしておくとよい。

吉岡氏のように、修士課程から博士課程に直接進むと、最短で修士2年、博士3年の合計5年間の学びの期間があることになるが、社会人の場合、この5年間で修士論文と博士論文の2本を書くのはかなり難しいのは事実である。そこで、戦略的に修士課程が終わった時点でいったん休息期間を置き、博士論文の構想を練り、ほぼ博士論文ができあがってから博士課程に進むというのも考え得る方法である。

なぜそのように思うかというと、修士課程も博士課程も、論文作成以外に授業も受講しなければならないわけで、これがかなり負担になることが想定されるからである。特に博士論文の内容は、ある一定レベルの水準は維持できていないと学位審査も通過できない。やはり修士と博士のレベルはかなり違う。たった3年間で授業も受けて論文も書くというのは、かなり難度が高いであろう。

自分が経験して感じるのは、授業は他の大学院生と一緒に受講するので、自分の発表が毎週あるということではないが、本当に自分の専門のど真ん中の内容ではないことが多く、ゼロから調べなければならないことになる。これは社会人にそれなりの負担になってくるであろう。自分自身、博士課程など論文を書いて終わりという認識でいたので、この授業を取るということは負担を感じたのは事実である。よって、博士課程入学前に、かなり博士論文の構想は固めておき、ある程度書き上げておくことが無難だと思う。

いずれにしても人によって事情は異なるので、やり方やとり得る戦略は違ってくると思うが、誰にでも挑戦できる方法があるはずなので、あきらめずに独自の道筋を探すことを提案したい。

プーチン大統領は偽旗作戦のターゲット

善悪の価値判断を排して戦争と富について考えてみる。ウクライナの戦争について主要メディアは、反ロシア、反プーチン一色になっている。もちろん一部では、ロシアは共産主義勢力に押されて耐えきれなくなり、戦争に追い込まれたという説もあるし、プーチン共産主義勢力と結託して、軍需産業でひと儲けしようと企てているという説もある。しかし、どの説を取ったとしても、戦争で富を蓄積できる人たちがいるのは事実である。

ここで共産主義勢力というと、昔のソ連を思い出す人が多いので混乱するが、この共産主義は、いわゆる新保守主義義勢力のことであり、いわゆるネオコンNeoconservatism)のことになる。文字にすると「保守」となり共産主義とは対極にあるもののように思えるが、もとは左翼でリベラルな人が新しい保守に転向たということ。その新しい保守は、経済に関しては自由主義で、それだけにとどまらず、それを世界に広めようと考える。すなわち、グローバリズムで世界を均質化すること。世界を没個性の共産主義にするということである。よって「グローバリズム共産主義」という構図を頭に入れておく必要がある。

世界を統一のルールに基づき統制し、あらゆる取引は市場を通して行い、政府は介入させない。それぞれの国の伝統的価値観は徹底的に破壊され、ある特定の思想が刷り込まれ、一部の支配層によって世界の富を意のままにするという革命を世界に広げることになる。

そして、ネオコンが戦争から利益を得るには、二当事者が対立する構図を作るために、どちらかを挑発する必要がある。過去の戦争を振り返っても、冷静さを失わせるほどの挑発が必要であることは想像がつく。そして、この二当事者のどちらが勝ってもよく、双方にお金と武器を供与することによって儲かる仕組みができていることになる。

そんなひどいことをする人々がいるのか、ということであるが、お金を儲けて世界を支配したいという人々には、この方法が正しいと考えているので、そこに善悪の価値判断はない。もし、プーチンが挑発に抗しきれなくなり、戦争をはじめざるを得ない状況に追い込まれたとするのであれば気の毒としかいいようがない。あるいはネオコンと一緒にお金儲けということであれば、彼も同根だったということになる。

私たちはこの心理戦や情報戦に対して無防備になっていては真実がみえなくなってしまう。主要メディアだけから情報を入手していると、自分の考えも偏ってしまう。

馬渕睦夫『ディープステート』(ワック、2021年)によると、第二次世界大戦アメリカが参戦するのに国民感情を誘導する必要があったという。ドイツ兵が占領地で子どもを銃剣で突き刺したり、女性の腕を切断したり、妊婦の腹をかき割って殺したりという嘘の情報で国民感情を参戦に誘導した。

湾岸戦争は、クウェートに行ったこともない少女にイラク兵の残虐さを証言させて、国民感情を煽ってはじめた。ある種のPR作戦である(リンクの動画参照)。そして、イラクフセイン大統領は悪者に仕立て上げられたのである。

嘘から始まった湾岸戦争!自作自演の議会証言とPR操作! - YouTube

リビアカダフィ大佐も同じである。彼が統治していたリビアは、当時アフリカでもっとも発展した国で、福祉の水準も高かったという。カダフィこそリビアを第一に考え国を安定運営した名君だった。しかしアラブの春アラブ諸国に革命が伝播し、リビアも内戦に発展。その後、カダフィは反対勢力に殺害された。

このように、ネオコンが創作した偽旗作戦により悪役にされ、追い詰められ、最後は殺害された為政者がいる。スティーブン・M・グリア『非認可の世界』(VOICE、2021年)に、キャロル・ロジン博士の証言がある。彼女は1977年に航空宇宙産業のフェアチャイルド社に勤務していた。あるとき、彼女が会合に出席した。参加者は「回転ドアゲーム」に身を置く人々。あるときは軍人として、あるときはコンサルタントとして、あるときは産業界で働き、政府の要職に就くこともある。まるで回転ドアをグルグル回るように職を変えるが、常に利益相反関係のポジションに就いている。それで、各種許認可がスムーズにいったり、莫大な予算を獲得できることもあるのであろう。

そして、その会議では、多くの図表が貼りだされており、当時誰も知らなかったサダム・フセインカダフィ大佐の名前もあったという。結局、彼らは最初からターゲットにされ、悪役を演じることになっていたということである。ロジン博士は、その場で立ち上がって質問した。「すみません、なぜ建造する宇宙兵器の対象として、潜在的な敵について話し合っているのですか。現時点で彼らが敵ではないことはご存じでしょう?」と。しかし、誰も答えなかった。そして、彼女はその仕事を辞めた。そのような業界で働き続けることができなかったという。

このような背景を踏まえると、プーチンも同じ運命なのであろうか。今回ばかりは違う展開があり得るようにも感じる。時代は変わったのだと。もうお金儲けのための戦争で死ななければならない人はこれ以上増えなくてもよいステージに入っていると。

PCR検査の蔓延がパンデミックの原因

パンデミックも終盤戦に入ってきているのだろうか。各国で規制の緩和が始まっているようである。しかし、今回のパンデミックの原因を探求し続ける必要性は大いにあると思われる。そうしないと、また同じことを繰り返すことになるからである。次は気候変動や戦争などの別の要因で人々の行動を強烈に制限してくるのかもしれない。ただし、その背後にある原理は今回の騒動と類似性があるはずなので、パンデミックの始まりから終わりを通じて、誰もが教訓を得ておく必要がある。

国によって濃淡はあるものの、なぜ多くの人々が新型ウイルスをそこまで恐れたのか、そしてなぜ世界中でロックダウンが実施されたのか、なぜ社会的距離が推奨されたのか、なぜマスクが義務化されたのか、なぜワクチン接種が義務化されたのか。いずれの施策も効果が実証されているとはいえない。効果を証明する論文やデータはあるものの、効果を証明しない論文やデータも多い。ということは、まだ誰も結論が出せないということのはずなのに、なぜか多くの人々は正しい結論があると考えたようである。

冷静に評価してみると、テレビに出てくる専門家は、感想を述べる程度であることが多い。あるいは、専門家といわれる人の記述も感想文程度のものが多い。なぜ説得力のない説明に多くの人々はフォローしてしまったのであろうか。心理的要因も大いにあると推察される。ロックダウンにより人々の間で対話や議論ができなくなり、思考停止のままマスメディアの流す情報だけが頭に入ってくる。まるで人々を心理的に追い込む段取りがとられていたかのように。

パンデミックの初期段階から、今回の問題点をPCR検査に求めていた感染症・免疫学が専門の大橋眞博士は、『PCRは、RNAウイルスの検査に使ってはならない』(ヒカルランド、2020年)で次の点を指摘する。

PCRは、遺伝子を試験管内において指数関数的に増幅させる技術であり、今回の騒動の原因は、PCR検査というこれまで医療で使われてきた検査法と異なる遺伝子検査を持ち出してきたことだという。PCR検査は遺伝子を検査して、病原体を同定しようとするものであるが、遺伝子情報の断片だけを調べるだけで病原体を同定するのは無理があるという。実際にはPCR検査で何を観ているのかを原理的に理解できる人は少ないのが実態であると。

また、PCR検査は非常に特異性が高いことで知られ、反応条件をうまく設定すると、最大99%もの特異性が得られるほど遺伝子を見分ける能力がある。しかし、ウイルスは変異するとPCRで検出できなくなるという問題が生じる。PCRの有効期限はウイルス発生から2か月だといい、PCR検査マニュアルができた当時、すでに有効期限に達していたという。

2020年の最初の緊急事態宣言が出た時には有効期限の2倍、夏の第二派のころには3~4倍の期間が過ぎているのに、同じPCRキットを使い続けていたことになる。もはや医学的に意味がない検査を続けて、PCRは何を検出していたのであろう。陽性反応が出るからよいでは済まされないわけで、どれだけ多くの偽陽性者が出て隔離措置などとられたことであろうか。

今回のPCR検査法を開発したのは、ドイツのクリスティアン・ドロステン教授のグループである。その後、WHOはウイルスの名称をCOVID-19とする。そして、WHO事務局長は、PCR検査を行い、陽性者を隔離する施策を推奨したのは周知の事実である。

そして、スチャット・バクティ=カリーナ・ライス『計画された! コロナパンデミック』(成甲書房、2021年)によると、ドロステン教授らの論文は、24時間以内で査読を通過して批判的な検証はされていないという。さらに、PCR検査は大量の無症状感染者を生み出してきたが、無症状感染者の飛沫中にウイルスが存在しているというデータが示されたことはないという。

科学的根拠も証拠もないのに、なぜ我々は無症状者から感染症が移ると考えるようになったのであろうか。そして、無症状の子どもたちが高齢者にウイルスを移すという残酷なストーリーを作り出し、その仮想のストーリーを多くの人が信じて吹聴し、人々が社会的距離を取るようになった。

大橋博士は次のように指摘する。ウイルスが広まったのではなく、PCR検査キットが世界中に広まったと考えると、新型コロナウイルスの陽性者が世界中で発生していることが科学的に説明できると。今回のPCR検査で陽性と判定されている遺伝子は、中国で発生したウイルスではなく、各地域において、何らかの遺伝子が新しく発見されているだけではないだろうか。

この仮説に対して、正面から反論している著作物はあまりみられない。匿名のものやネット上での反対説はあるものの、文責を明らかにして修正が不可能な紙媒体のまともな著作物はないように思われる。私には大橋博士の仮説を検証する能力は備わっていないが、誰が責任を取って主張し、リスクを取って記述しているかの想定はつくと思われる。パンデミックの出口がもし見えてきているというのであれば、なおのこと、今回の不可解な現象を論理的に検証し、各自の中でも整理をつけておくことは必要であると思う。二度と同じ過ちを犯さないためにも。